研究の核は何だ

・予測がうまくいかないことを証明する研究でなく、構造物側の要請から容認される予測の不確定性を定量化する研究ではなかったか?つまり、あまり精度を向上を追究しなくてもいいという工学的な判断をいかに下すかの研究だったはず。
・地震が起きても、安全が増すことはない。安全性の確信が増すだけ。他のものに置き換えて考えられないか?言い方は悪いが、地震後は耐震性の低い構造物が間引かれるし、新築の建物が増えるので都市の耐震性は一時的に増加する。いや、そうだろうか。一部で半壊・一部損壊のまま住み続けたりする人がいるから、耐震性は低くなっているのか?
・地震が起きてその教訓を生かして復旧し、これを繰り返す。都市があたかも生き物のようでふるまう。弱い種が地震によって淘汰されながら、全システムの強度は向上していく(長期的に見れば。短期では下がっているのかもしれない)。
・立場やケースの違いでどれだけ多彩な選択肢が出せるかが、当面の目標。
 複数回の試行が許される場合と一発の試行しか許されないケースで選択肢は変わるか。
 ヒューリスティックスをうまくつかう。例えば、震災が起きた直後は具体的な事例が想起されるので、震災グッズなんかの売れ行きが良くなる。それは耐震補強なんかの方にも影響しているのか?してないとしたらなんで?
 今の構造界の問題をアニマルスピリッツを用いて論じられないか?安心、公平さ、貨幣錯覚、腐敗、物語。どうして、原子力発電所はたたかれるのか?どうして耐震補強はなかなか進まないのか?合理的な思考だけでは片づけられないのではないか。
・大学が、機能不全におちいるとどの程度困るのだろうか?それほどの震災時において、のんきに授業をやってるのはいいのかな。そう考えると、持続すべき大学の機能は避難民の受け入れ態勢のようなものになってくるのか。構造物の損傷だけでなく、内部の被害も考えだすと、インフラのことも考えなくてはならなくなってくる。そうすると大学外の評価もしなくてはならないから話がどんどん難しくなってくる。
・クリフ、ヘビメタ研究。ポップに考えるためには、現在の推本の評価側から考えていかなくてはならない。b値が一定なのだ。これを少しでも良くしようという方向性。理学の方から考えだすと、かなり大変だろう。
・スワンを使って読書会をしてもいいかもしれない。一人では手に余る本。